西本智実 with ラトビア国立交響楽団
サントリーホール 大ホール (1階9列)
今回はラトビア国立交響楽団とのツアーです。
5日にも別プログラムの公演に足を運ぶ予定がありますが、「亡き王女のパヴァーヌ」が聴きたくて、この日程のチケットまで手に入れてしまいました。
サントリーホール前のカラヤン広場は、豪勢なクリスマスイルミネーション!
先日の表参道もそうですが、この場所もしっかりクリスマスモードに変身していました。
サントリーホール入り口前の噴水には、北欧をイメージしたらしい?もみの木たち。
かわいいですね~♪
やっぱり、青色発光ダイオードだけのイルミネーションより色が入っていたほうがいいですね。
到着した時はちょうどサントリーホールの開場時間。
開場の音楽を聴きながらイルミネーションを楽しむという不思議な時間をすごすことができました。
そのまま、会場に入って、パンフレットを入手。
毎回思いますが、お金かかってますよね・・・。
さて、今回のコンサートはというと・・・。
チケット先行発売当初は、抽選で席決めされますが、間際になると自分で選べるという利点を生かして、なかなか良いポジションで見ることができました♪
いつもギリギリまで待って座席指定でチケット買おうかな~なんて思うのですが、どうしても行きたい気持ちが先走って先行予約で抽選席を買ってしまいます。(´・ω・`)
そして、毎回、抽選席は、何故か指揮台近く超前列という引きのよさ(悪さ?)を記録していて、その結果が次回5日の東京文化会館での3列目なので・・・指揮者である西本さんの姿以前に、音楽を楽しみたい気持ちがあるので、あまり前過ぎると困るんだよなぁ・・・と、毎回我侭で贅沢な不満を漏らしています。
脱線はコレぐらいにして・・・今回の公演では、全体的に、西本さんとラトビア国立交響楽団の奏者の方たちの関係性を音楽からちょっと感じた気がする。というのが全体的な感想でしょうか。
特に前半の楽曲ではアットホームさを思い切り感じることができたというか・・・
大きなホールで、沢山の人に囲まれているのに、小さなホールでアットホームな感じで行われているコンサートのような、包容力というのか、安心感というのを感じました。
1曲目のドビュッシーは、コントラバスの奏者2人が演奏しながら時折目を合わせては微笑みあっている様子にばかり目を惹かれてしまいました。
会話が聞こえないわけですからどういう意図でもってそういうことになっているのかさっぱりわからないのですが、パートの演奏と演奏の間で、仕切りに微笑みあっている姿は、とても印象深くて。
指揮をする西本さんの顔にも時折見える笑顔。
緊張感を保ちながら、控えめに抑えた笑顔ではありましたが、目はしっかり笑っている。
そんな感じでした。
今回の公演プログラムの内容は、ダッタン人の踊り、亡き王女のためのパヴァーヌ、悲愴、アンコールと、どれをとっても既に西本さんのCDで発売されているもの!
音源かされている楽曲をこうして演奏会で聴けるというのは、嬉しい機会です。
CDで聴くのとはまた違う、生音、空気感、その場でしか会えない音。
亡き王女のパヴァーヌでは、母のような包容力ある音に包まれる不思議な感覚を楽しみました。
後半の悲愴は、まさに「生と死」の指揮でした。
渾身の・・・魂から搾り出すような指揮って、こういうのを言うのではないでしょうか。
世の中には「指揮者はただ棒を振っているだけ」という言葉を口にする方がいるそうですが、今日のこの指揮にその言葉を出せる人はきっと一人も居ないはず。
曲中に時折聴こえる腹の底から吐き出されるような呼吸音は、生と死を繋ぐ力のようで。
第3楽章の最後は、本来では出るはずのない大きな拍手!
指揮と音に完全に連れられたような、心からの拍手でした。
どうやら、別会場での公演でも、同じように拍手が沸いたのだとか。
あれは、しょうがないよ。と、今思い出しても思います。
第4楽章の最後のコントラバスの音の余韻が消え行くのとともに、グッタリと肩を落として崩れ去りそうな西本さんの手から指揮棒がするりと落ちそうに。
その瀬戸際で、フッと意識を取り戻したかのように頭をあげたのですが、その瞬間はまさに魂が体から離れていく様子・・・まさに、「気絶に終わる」瞬間でした。
それをボーっと見ながら、「死っていうのはこうやってスーッと訪れるのかも」と思ってしまいました。
今回は一人で行ったので、気兼ねなく出待ちに参加しました。
宝塚の出待ちもすごい様相ですが、西本さんの出待ちも負けていませんね。
と、いうより、今回は表から出ることが拍車をかけたのでしょうか。
見事にホール入り口からカラヤン広場を横断する人の列でした。
みなさん、それぞれの手にプレゼントに手紙に・・・みなさんの顔がすごく幸せそうで、見ていてこちらまで幸せ気分になってしまいそうです。
出口から出るなり、列をなすファンひとりひとりに握手していく西本さんの手。
指揮姿の大きさからは一切想像できない、本当に小さくて華奢な手なのです。
対してひらぎの手は、父上様そっくりの男の手。
女友達と、指を絡めるカップル繋ぎをすると「彼氏と手を繋いでるみたい」といわれるデカ手。
ちょっと力をいれたら壊れてしまいそうな手で、握手は恐々です。
あの手の持ち主が、世界を飛び回る指揮者とは。
背負う志の大きさと手の広さのギャップに、正直戸惑わずにいられません。
そういえば、今回は、第九の練習会での西本さんからの指導日でも強く感じていたことを、改めて感じた日となりました。
きっと、私が足を運ぶようになる以前から通われていらっしゃる方にとっては「何を今更」と叱られてしまいそうですが・・・会場での女性率の多さは本当に毎回驚きます。
さらに、演奏が終わった後に聴こえてくる感想の言葉は、やはり全体的にクラシックありきではなく、西本さんという女性指揮者ありきな方の多さを感じずにはいられません。
私自身、同じ女性がこうして世界で活躍する姿に自分を刺激されているわけなので、自分がそれとは違うといいたいわけではありません。
そういう意見を否定したいわけでもありません。
ただ、単純に、先日のアメリカデビューの際のインタビューの言葉などなどから考えると、女性指揮者であることが、本来の指揮者としての評価をにじませる(楽曲の評価以前にヴィジュアル的な面が評価される)ことになるのかもしれないな。なんてことを感じてしまいました。
とはいえ。西本さんの持ってる不思議な魅力は、確実に音の中にこそあるわけで。
さらには、影響は間違いなく世界を動かしているようです。
お友達のお知り合いの女性指揮者さん曰くところによれば・・・
日本での女性指揮者への評価はまだまだ低く活動が難しい風潮はぬぐえないものの、全体的にみれば女性指揮者への評価がオープンになってきていて、活動の幅が広がっているのだそうです。
すごいことですよね。
自分のことをがんばる人が、周りを変えていくんですね。
本当に、西本智実という存在を見るたびに、背筋を正される気持ちになります。
- ドビュッシー:小組曲
Claude Achille Debussy : Petite suite- ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ
Joseph-Maurice Ravel : Pavane pour une infante defunte- ボロディン:歌劇『イーゴリ公』より「ダッタン人の踊り」
Alexander Porfir'evich Borodin : Polovtsian Dances from Prince Igor- チャイコフスキー:交響曲 第6番 ロ短調 「悲愴」 作品74
Peter Ilyich Tchaikovsky : Symphony No.6 in B minor, Op.74, Pathetiqueアンコール
- チャイコフスキー: バレエ音楽 作品71 《くるみ割り人形》 第14曲: パ・ド・ドゥ
Tchaikovsky: Complete ballet op.71 "The Nutcracker" Tableau III: Pas de deux
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