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古代蓮

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古代蓮

フォトサークルの仲間たちで、秩父へ撮影会に行ってきた。
場所は、札所25番久昌寺。
秩父には、札所があって34ヶ所の観音霊場札所があって、札所めぐりで有名だけど、その25番目のお寺にあたるこの久昌寺には、弁天池という池があって、そこが蓮池になっている。

現地についたのは、12時近くになっていて、蓮の花が閉じ始める時間。
それでも、沢山のつぼみと花。

直前まで振っていた雨がだんだん止んで、しだいに強い太陽の日差しが出てきて。
こげそうな気分になりながら、必死に撮った。

古代蓮

必死にとったって記憶している割りには、撮影枚数が少なくて。
でも、自分にとっての「捨て写真」は、1割にも満たなかった。
もちろん、構図とか、もろもろのことを総合すれば「作品にならない写真」はあるし、ほとんどが、人様に見せて「すばらしい!」とうなってもらえる写真とは程遠い。
それでも、露出オーバーや、●●ミスのようなものはほとんどなくて。
いつもの撮影結果とはえらい違いであることを実感できた。

真剣に撮れば撮るほど、そういう風になるのだろうと考えると、いままで自分がどれほど真剣になれなかったのを疑う・・・。

家を出る直前まで、毎号購読している「風景写真」を読んでいたから?

古代蓮

一般的な花びらは、一枚、また一枚と、はらはら散っていく記憶があったのだけど、蓮の花は、突然ほとんどの花びらが「どさっ」と落ちる。
目の前で、何度も、何度も花びらが散る様を見た。

蓮は、咲く瞬間「ボンッ」と音を鳴らして咲くというけれどその咲き方といい、この散り方といい・・・なんて潔い花なんだろう。

しおれかけた花びらが落ちるのではなくて、まだきれいな姿のまま、散る。
池の上に浮く花びらは、新しいものはほとんどが、まだきれいな桃色が映えていて。
しかも、傷がついている花びらがほとんどといっていいほど、ない。

潔さ。
今のひらぎには、ないかも。

// 潔さを良しととるか悪しととるかは人次第。
// けれど、それを決めるのは誰でもない。
// 自分自身の心が決めるのだ
// 己が心に聞けば、それがどちらか、答えはすぐ見つかるはず。

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